日記(年一発行)

中大生ですよろしくね

中央大学の学費返還活動記事の問題点

これについて書きます。

 

まず、私の立場を述べると、学費返還の要求を学生がすること自体は賛成です。

数日前にこんなことも書いています。

 

学生が大学の経営や方針について不満の声を上げるのは正しいことです。平時、非常時問わず、自分が所属する組織である大学に文句をいうこと自体に文句はなく、むしろ奨励すべきです。

 

しかし、記事冒頭のツイートにある学費返還を求める署名については参加しないことにします。ただの我儘だったので。

 

署名を募集する声明について書いていきます。

 

署名募集声明のうち、【状況】【影響】については問題ありません。

 

【危惧】も、大部分が憶測のお気持ち表明になっている点、【要求】との繋がりが要求内容が重いものであるにも関わらず、要求の根拠とするには乏しいものである点を除けば分からなくもありません。オンラインとは言え授業が開催されていることや、データベースの拡充やwebexの導入が行われたことなどをガン無視し、また、中大職員の事情などを形式的にさえ考慮する気が一切ないことには驚きましたが許しましょう。

 

しかし、本署名の精神・理念が浮き出ている「読みたい人だけに読んでいただきたいこと」に対しては共感できる点が何一つありませんでした(そもそもそんな理念を必読させようとしていないのもどうかと思う)。

 

受益者負担の原則について」と「奨学金の問題について」は本件と関係ないのでスルーします。その問題を絡めるのであれば要求は各学生とその家庭の経済状況に応じたものにすべきです。一律負担を糾弾し、柔軟な学費減免が望ましいとするのは少なくとも本署名運動の文脈に沿っていません。(主張自体はもっともです。あくまで本署名運動と無関係ということです。)

次に、「学生自治及び大学の自治について」です。

本署名運動の提案者(以下、筆者)は中央大学の学生自治の状況について全く触れていません。京都大学吉田寮の話は後で唐突に出て来るのに。中央大学自治について現状分析をしていない。ただただ現在の大学の役割や存在意義、自治会の存在意義等をなんの根拠も裏付けもないイメージで語っているだけです。散見される『学級委員』的な自治体の存在や、学外組織の利益誘導に利用された歴史的経緯も具体的な事例が紹介されていません。イメージで語ることなら小学生でもできます。何より、筆者の結論との結びつきが全くありません。

 

最後に、「結論」。今までの全く中身のない文章の末の結論になります。

筆者は「大学は資本主義・新自由主義の尖兵と成り果てました」とし、「大学は、学費という金を支払い、その対価として『学問』『学歴』を提供するシステムの一部と成り果てました」と批判しています。その上で、「システム内部において、学生は『お客様』なわけであります」と私見を述べています。そして、「本署名は本来あるべき姿の大学に籍を置く、本来あるべき学生として大学に異議を唱えるものではありません。金を払っている『お客様』として、金を受け取ってサービスを提供する『企業』にクレームを入れるものであります」と主張を展開しています。

一億歩譲って、筆者の大学に対する批判はお気持ちの表明として良しとします。しかし、大学を批判した「件のシステム」に自ら乗っかって、自分たちは『お客様』だぞ!企業はお客様に従って当然だ!という支離滅裂な主張によって学費減額の要求を呑ませようとする主張はあまりにも乱暴です。やっていることがクレーマーと変わりません。

そして、この要求の仕方では、「大学当局は学生をお客様と捉えているのか?」という回答の分かりきった質問を突きつけることしかできません。答えは「No。これは同じ大学組織の一員である学生の皆さんを第一に考えた結果です。ご了承ください。」で終了。gg。

京都大学吉田寮問題を言い訳にして、自分たちから大学との対話を拒む。そして、自分たちは大学より上の立場にあると考える筆者の姿勢には同意できません。(吉田寮問題に照らせば筆者の立場は京都大学側では…?)

 

大学との会話を拒んだ上で、春学期全学費の半分を返還するという大学側に過度な負担を強いるという要求の仕方では、返って来るものも返って来なくなります。

 

何よりも言いたいのは、その主張内容とその理屈で本気で勝算があると思ったのか。

もしそうだとしたら、単純に大学ナメすぎでは?

 

まとまりのない記事になりました。申し訳ないです。

 

※追記

引用内の一部に誤植がありました。

自由主義」→「新自由主義」です

4/19 18:11 に修正いたしました。